有馬記念を見に行って東京から帰れなくなった話
昔4号機で「俺の空」って台があったんですけど、当時スロットをはじめたばかりの私にとってはわかりやすく面白かった機種でした。
その日は朝から友人と開店前の店に並んでいまして、抽選の時間を待っていると、私達の前に並んでいた中年の二人組が何の機種を打つかを話している声が聞こえてきました。
一人の中年が相方に何を打つかを尋ね、相方は「俺の空」と答えていました。
至って普通の会話なのですが、「俺の空」のイントネーションがなんか関西風にバグってたんですよ。
伝わりますかね?
例えるならおっさんがスナックで持ち歌を披露するときに言う「ワイの歌」的な感じです。
あんこうです。
昔ネットで関西人は全員キ○ガイみたいな書き込みをみたので、ブログを始めた頃は言葉使いに気をつけないといけないと思っていました。
でも最近ではネタで関西弁を使われているのをよく見かけたりするので今はそんな感じでもないんですかね。
今回は友人2人と3人で初めて東京に行ったときに、全額溶かして帰れなくなったキ○ガイ関西人の話になります。
片道切符
東京に行ったときの話と言いましたが目的は千葉県にありました。
いつかの年末に友人の一人が有馬記念を見に行こうと言い出したのが事の発端です。
いつも何処其処に行こうと話しては企画倒れする私達にとって、それを実行することはとても珍しいことでした。
当時お金が絶望的になかった私達は、コーラの炭酸で空腹を凌ぎながら有馬記念を当てて東京で豪遊する話に花を咲かせていました。
どうせいつものように企画倒れするだろうと少なくとも私は思っていました。
しかし後日友人からメールで、夜行バスのチケットを予約したとの連絡が入り一気にガチモードになります。
私は旅費と軍資金を確保しなければと一瞬焦りましたが、幸いボーナス明けで有馬記念の前に給料も入るため、そこでの心配は必要ありませんでした。
そのため余裕のあった私は有馬記念当日までにスロットで負けに負け、有馬記念で負けて帰ってきたら、またコーラの生活になってしまう状況に追い込まれていました。
当日、友人から夜行バスのチケットを受け取ったのですが、チケットは行きの分だけで帰りの分はありませんでした。
友人A「どうせ勝つねんから帰りは新幹線でええやろ?」
私と友人B「せやな」
このときの私達には有馬記念を当てる絶対的な自信があったのです。
必勝法
その年の有馬記念に出走する馬の中に、マツリダゴッホという馬がいたのですが、その馬は千葉県にある中山競馬場だけはやたら走るという所謂パラメーター全振り系の馬であり、前年度の覇者でもありました。
これだけならまだ信頼度としては弱かったのですが、前走のジャパンカップで意味不明に好走したことから、マツリダゴッホは私達の中で鉄板よりもかたい存在へとなっていきます。
これがまず一頭。
そしてもう一頭の馬が私達のアイドル、ダイワスカーレット。
牝馬でダービーを制したウォッカと幾度となく殴りあってきた馬です。
天皇賞(秋)は友人が全財産を賭けていたのでとても印象に残っています。
ダイワスカーレットはここまでの成績が連対率100%。しかも1着と2着のみという規格外のメスで、この有馬記念がたしか引退レースとなったはずです。
この馬の特徴は先行力。
少し前にキタサンブラックという馬がいたと思いますが、私の印象ではこの馬に近い感じがあります。
とにかく前で競馬をし、直線に入ってからさらに伸びる走り。
後続に並ばれてからしぶといのがダイワスカーレットの持ち味だったように思います。
私達はこの鉄板の中でも更に硬い、超硬あるいは超合金、ないしはチタン合金ともとれる二頭の馬を軸に、ありったけのお金を注ぎこむことで、まず負けることはないと確信しレースに挑みました。
結果、爆荒れ。
夜行バスのチケットを確保せよ
意気消沈している私達は、とりあえず東京に戻ることにします。
最寄駅がカオスな状況だったので一駅歩くことに。
そこで今夜の宿を何処にするかを話していたのですが、二人とも有馬記念が本当に100%当たる予定だったらしく、旅費は一切持ち合わせていなかったのです。
まぁ私も似たようなものでした。
軽く引いたあとに「じゃあ帰るか」となりますが、心配性の私は、予約してゲットした夜行バスのチケットだったため、当日もしくは翌日分をその日に入手できるのかが不安になってきたのです。
対して楽観的な友人二人は「いけるいける!」と、いつも軍資金が少なめでパチンコ屋に向かうときに使うセリフを吐いていました。
私はそれを聞いて絶対に無理なやつだと確信しました。
案の定散々歩き回ったあげくバスのチケットは得らることができず、新幹線代に満たないお金しか持ち合わせていなかった友人二人は東京から帰れなくなってしまいました。
パチンコパチスロはお金に余裕をもって適度に遊びましょう
帰れなくなってどうするかを考えていたのですが、ここで「パチンコスロットで何とかする」という選択肢がでていたら、この記事はもう少し面白くなっていたと思います。
しかし残念なことに当時私が実家暮らしだったことで、その家賃として置いていたお金が口座にまだ残っており、結果的にはそれで新幹線の切符を買うことができたのです。
東京で無一文どころか、軽い借金をして帰ってきた私達は解散することにします。
一人の友人とは帰る方角が同じだったのでもう一人の友人を先に見送りました。
残った二人で「今月やばいわ」という過去に100回はお題に上げたであろう話題で、どうやって年を越すかを話していました。
私は親に事情を話してこの残った2万円で最悪凌ぐことができましたが、友人はガチのスッテンテンでシケモク必須の状況でした。
それを見かねた私は財布から1万円を取り出すと、友人に差し出し「勝つしかない」と伝え、その足でパチンコ屋に私達は向かったのでした。
まとめ
まぁただの昔話でしたね。
20代前半は社会人でありながらこんな生活ばかりでした。働く乞食です。
でもあの頃はお金がなかったので競馬もパチンコスロットも一回一回がガチで、脳汁も本気汁でしたから、勝てたときは今よりも数倍嬉しかったです。
そのせいかは知りませんが、当時に比べてまだ余裕のある最近では、感情だけが専業みたいにプロ仕様になっているような気がしますね。
その分ちょっとだけ上手くなってはいるのですが、何だかなぁといった感じです。
では、、